文字を書きたい

年度末だからでしょうか,何かを書きたいのです。

もうすぐ2016年度も終わり。
今年度は,新しい非常勤(計3箇所)が始まったり結婚してみたり,新しい研究プロジェクトが始まってしまったりとやたらに忙しい一年だった。

正直,ちょっと燃え尽きた感ありますが,僕が燃え尽きようがどうなろうが明日はやってくるし,仕事が減るわけじゃない。

本当は今頃,北海道に行ってアタッチメント関係の研修を受けていた予定だったのだけども,先方の都合で急遽中止になったので,ぽっかり開いた時間を適当に潰して過ごしている今日この頃。

タイトルには「文字を書きたい」と書いたけれども,特に何かを書きたいというわけではない。ただ,文字を書きたい。確かに,今年はいっぱい文字を書いたと思う。講演会や授業のスライドとか論文とか,必要性がよくわからない様々な事務文書など…。

が,そういう文章が書きたいのではなくて,査読とか書き間違いとかそういう指摘がなく,自分勝手に書ける文書を書きたいのである。

ならば,全世界に発信されるブログなどにいちいいち書かずに,日記を書けばよいのではないか,という意見もあるだろう。けれども,「もしかしたら誰かに読まれているかもしれない感」を抱きながら書く文章と,そうでない文章とはまたちょっと趣が違う。

僕のような人間は,誰にも読まれていないだろうという想定のもとに書かれた文章は,支離滅裂で何が言いたいのかが分からなかったり,文脈がすっ飛ばされていたりして,後から読み返してみて,なんでこの時にこんな事を書いたんだろうか,と疑問に思うことばかりなのだ(もしかしたらこの文章だってそうかもしれないけれども…)。

では最初から,後から読み返してもわかるように書けば良いのではないか,という意見もあるだろう。しかし僕の場合は,どうせ誰も読まないのだから,というのがわかっている場合,自分に気を遣ってまでそのような書き方をするほど自分に優しい人間ではない。だから,「もしかしたら誰かに読まれてるかも感」は,僕にとって一定のまとまりある文章を書くために重要なのかもしれない。ある意味,自分への優しさなのだ。

つまり,今,僕が書きたい文字や文章というのは,後から読み返してみて,「ああ,こんなことも思っていたなぁ」とかを感じられるようなまとまりのある文章を書きたいのである。

と,ここまで書いておきながら,本当はこんなことを書きたかったわけではなかったことに気がついたのだけども,まあいいか。本当に書きたかったことはまた別の機会にでも書くことにしよう。

とりあえず今回は文章を書けたことで満足だ。

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